古の時を超え、愛され続ける奈良の美味。

歌人の正岡子規が「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだように、
古くから奈良は、柿の木の里としても広く知られています。
そのような土地で、瑞々しく大きく育った柿の若葉と、
峠を越えて運ばれた熊野灘のサバやサケが出会い、里山の滋味に溢れた郷土の名品、
柿の葉ずしは生まれました。

  • 古代から伝わる伝統の製法。

    古代から伝わる伝統の製法。

    柿の葉ずしは、古くから五条や吉野地方の家々で、ハレの日のごちそうとして親しまれてきました。柿の若葉が瑞々しく育つ夏の頃から、柿の葉が赤く色づく晩秋の頃にかけて夏祭りや秋祭りなど、特別な日を迎えるたびに、吉野川流域の家々では、柿の葉ずしがつくられました。サバやサケの寿司を柿の葉で包み込み、すし箱に入れて押しをかけるという手法は古の時代から、この地方に代々伝わる伝統的なもの。海のない大和の国では貴重な食材である魚を、保存性に優れた柿の葉で包むという先人の知恵が柿の葉の爽やかな香りがほんのり漂う格別な美味、今も変わらずに愛される、柿の葉ずしを生み出したのです。

  • 昭和の大作家も愛した逸品。

    昭和の大作家も愛した逸品。

    人知れず山里の人々に愛されてきた柿の葉ずしをいち早く日本中に紹介したのは、昭和を代表する作家、谷崎潤一郎でした。代表作のひとつである随筆『陰翳禮讚(いんえいらいさん)』のなかで、谷崎は「吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨」として、その作り方などを事細かに紹介するとともに「東京のにぎりずしとは違った格別な味」、「今年の夏はこればかり食べて暮らした」などと、柿の葉ずしを食した感想を語り、褒め讃えています。食品の保存方法が確立していない当時、 柿の葉ずしは保存食としても重宝されていましたから、きっとこの大作家も、奈良の土産には柿の葉ずしを持ち帰ったのではないでしょうか。